めぐみ幼稚園からのお便りやお勉強会、園長先生からの一言日記などもりだくさんの内容でお届けしていきます。
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Author:めぐみ幼稚園
山口県下関市の由緒ある幼稚園「めぐみ幼稚園」では、恵まれた環境の中で子供たちの個を大切にした保育を行っています。お気軽に保育見学へお越しください。

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 幸せの 『黄ーホルダー』 『幸せの 黄ーホルダー』 


 つい三週間前・・・・・・、宝石箱に入れておくよりも、いつも身に着けておきたい宝物が一つ増えました。
それは、今年の春卒園した一年生の風香ちゃんが、私のために家で手作りしてくれたという、小さな木片のキーホルダーです。

彼女が年長:光組の時に、大工室で精魂込めて作ったキーホルダーと形も大きさも同じなのですが、全体を黄色く塗って、
片面に 『えんちょうせんせい』、もう片面には自分の名前 『ふうか』と、平仮名で彫ってくれています。
そして更に、それと一緒に添えられた手紙には
『キーホルダーは、きいろですよ』という、ウィットに富んだ一文が書かれてあって、私は、そのメッセージからいろいろな思い出と共に、成長した風香ちゃんを感じて心を躍らせました。

 今、大工室では、初めて大工作業を体験する、年中:愛組さん達が、慣れない手付きで、金槌(かなづち)と錐(きり)を使って『キリン』の制作に取組んでいます。

思いきり振り降ろした金槌がクギの頭を外して指先を打つこと度々。
一瞬にして血豆ができてしまうその痛さは、子どもにとってはかなりのものに違いありません。
しかし、既にそれを体験済みの先輩達が
『オレもなったことあるョ』   『そんなん、すぐなおるョ!』
と、その痛さを思い出したかのように一緒になって顔をしかめながらも、誇らし気に語るその言葉に励まされて、誰一人涙を出さないのには感心させられます。

伝わっているか否かは別として、私がその血豆の指にシップ薬を貼りながら、
『大工さんの勲章!』と言ってやるのは、
『がんばれ!』と励ます先輩と、『頑張ります!』とグッとこらえる後輩、両者の心に対しての表敬の意でもあるのです。

このような経験を繰り返して、一年の間にイッパシの職人に成長した先輩:光組さんが、奥の土間で鋸(のこぎり)の練習をしています。

まっすぐに切ろうとどんなに心を使っても、なかなか思うに任せない現実を体で感じながら、それでも果敢に挑戦して、要領やコツをその体に刷り込んでいく世界がそこにあります。
その姿の何と美しい事か、私一人がそこに立ち合わせて頂いていることを、申し訳なく思うほどです。

そしてその傍では、鋸の練習で切った木片をキーホルダーに仕立てて、大切な人にプレゼントするために、紙やすりで真剣に磨き上げている姿もあって、それを後輩の愛組さんが憧れの眼差しでじっと観て居ます。

愛組さんにとっては、錐でわずか4〜5ミリの穴を開ける事もけっこう大変な作業で、それを二十一個も開けねばならないとなると、終いには腕力の問題ではなく、精神力の問題となってきます。
しかし、そこを越えて鋸を挽く先輩達の、作業に取り組むあのカッコよい姿にまたまた励まされて、最後まであきらめずに作業のきつさを乗り越えている様です。
そしてその姿は、力を与えてくれた先輩に対しての精一杯の応答のように感じる事もあります。

ここに私は、言葉に依らない学びの本質を見せて貰いながら、大工室での自分の役割をいつも考えさせられているのです。

昨年、先輩のあかねちゃんに貰ったキーホルダーを、嬉しそうに通園鞄に付けている愛組の慎ちゃんは、今、錐で板に穴を開けながら、自分自身と格闘しています。
当時は白木だった、あかねちゃんに貰ったキーホルダーは、毎日何度となく触る慎ちゃんの手の汗や油で色が変わり始めていますが、このキーホルダーが貫禄の褐色になる頃、慎ちゃんもまた、
大好きな誰かにプレゼントする為の木片を、あの土間の隅で一心不乱に磨いていることでしょう。

私の心を躍らせた宝物、風香ちゃんの『黄ーホルダー』は、素敵な仲間が集まる大工室『モグラの部屋』のドアを開ける鍵を付けて、毎日、喜びと感謝に揺れて踊っています。  

                                   園 長  木村 厚美

★『 成 長 』★

 
私は自他共に認める着道楽です。

しかし、そうそう高価な物を身に着けている訳ではなく、その日身に着けている物の一つか二つはびっくりするくらい安い物である事を、私の周りに居る人はよく知っています。

おまけに、人が着ないような物を好んで選ぶので、サイズが合わなくなったから誰かに差し上げようと気前良くお声掛けしても、『そんな服は着れません!』と無下に断られてしまいます。

思うにこれは、幼い頃、私を着せ替え人形のようにして突飛な服を着せていた祖母の影響に違いありません。当時私は『こんな格好させられて…』と、嫌で仕方なかった筈なのに、いつの間にか私の趣味嗜好となってしまった事を可笑しく思いながら、『三つ子の魂百まで』という諺をこんなところで納得してしまいます。

先日、年中:愛組の勉強会の席で奈々子ちゃんのお母さんが、
「最近洋服を何着か持ってきて、どれ着たら良い?と私に訊くんですが・・・」。と質問されました。
「(2歳児)つぼみさんの頃は、頑固に自分の好きな服しか着なかったのに…」と、
彼女の変化にお母さんは戸惑ったのでしょう、よくある話です。

私も昔、「自分の事だから自分で決めなさい」と息子を叱咤し、「う〜ん、わからんもん」と言う息子と押し問答となって、何も生み出せずに終わってしまうことがよくありました。

(2歳児)つぼみ時代の奈々子ちゃんの事を思い出してみると、彼女が自分で選択し決断する力を持っている事は確かですから、その力を信じて、一見依存に見えるその様子を後退したと取るのでなく、新しい価値観へ移行、成長していく良いチャンスとして捉えると良いと思うのです。

頼りなく、情けなく見えても、子どもはいつも、昨日より今日は大きくなっていたいと願っている者ですから。

尋ねられたら微笑みながら、「おかあさんは○○だからこれが好きだよ」と、
お母さんの意見をきっぱりとカッコ良く意思表示する事。
そして、口に出すのでなく、
『決めるのはあなたよ』と、その言葉に偽りのないように心の中で祈ること、それでいいのです。

お母さんのその姿こそが大切で、必ず子どもに新しい力を与えるに違いありません。これが私のアドバイスです。

その後、このように対応を変えてみたという奈々子ちゃんのお母さんの報告では、未だに意見は求められるけれど、自分の選択と決断をし始めたようです。
奈々子ちゃんが新しい価値観に自身を持って、訊かなくなるのも間近でしょう。

折りしも、(2歳児)つぼみのゆりかちゃんのお母さんから、
「最近、どんなに言っても、自分の選んだ服しか着ないんです。冬服まで着ようとするんですけど…?」と質問を受けました。

私は、ゆりかちゃんも奈々子ちゃんと同じプロセスを辿って、自分の価値観やセンスを磨くのだと確信し、心配しているお母さんの心をよそに、ゆりかちゃんのその様子をを大いに喜びました。  
                                         
                                 園 長  木村 厚美
     幸せの黄色いバス
幸せの黄色いバス

朝七時半、新町一丁目バス停付近に黄色いバスが停まっています。

遠くからでもよく目立つその黄色いバスが、私の乗車を待っていてくれることを、気恥ずかしいほど嬉しく思うのは、発車してから終点までの時間がとても優しくて愉しい、そして感謝な時だからです。
「おはようございます!宜しくお願いしま〜す!」と運転士さんと挨拶を交わして
『じゃあ 行きましょうか』とバスが発車する瞬間、快い緊張感が走り、
『さぁ今日も始まるぞ!』と私の心にもエンジンがかかります。

運転士さんと私の緊張の内容は、多分異なるものだろうと思うのですが、その緊張感にお互いが信頼してのスタートは、本当に心地良い一日の始まりです。

 東駅を右に見て向山の方に向かって走っていると、運転席側前方に今年卒園した里ちゃんが、お母さんと一緒に黄色いバスが通るのを待ってくれているのが見えます。

『今日も頑張ろうね〜!』と互いにエールを交わし、
『明日も会おうね〜』と手を振って通り過ぎます。

まだ乗り手のいない金比羅を通過して、バイパスを左に見てカーブした辺りから、一人目の乗客 香子ちゃんに思いを馳せて、停留所を遠くに確認しながら
『香子ちゃん待ってるかなぁ…』と、運転士さんと私の緊張感が一致します。

武久で香子ちゃんを乗せ、お母さんの笑顔に送られて山の田まで直進。
緩やかな坂道を学校へ向かう子ども達の黄色い帽子の群れが連なるその中に、卒園して二年目のチーちゃんを目聡く見つけた香子ちゃんが、
「チーちゃんがいたよ〜っ!」と興奮して教えてくれます。

チーちゃんも後から追い越していく黄色いバスに気付いた時は、嬉しそうに手を振ってくれます。
友達に『私の幼稚園のバスよ!』と自慢している声が聞こえて来るようです。

稗田の信号を稗田橋の方に右折した直後、香子ちゃんと私と運転士さんは、
「慎ちゃん、今日も走ってくるんかねぇ…」と次の乗客に思いを馳せます。
と、定刻より早く到着したバスに向かって、慎ちゃんが風を切って走って来ます。

こうして一人増える毎に、バスの中に優しい暖かいハートが一つずつ増えていきます。

 雨の日は東駅が近づくと必ず、雨の日にしか利用しない めぐみちゃんのことに思いを馳せて、
「今日めぐちゃん乗って来るかねぇ…」と一人の子が言い出し、子ども達は東駅バス停の方に体を向き直して、息を呑んで停車の瞬間を待っています。
思ったとおり めぐちゃんと さやちゃんが乗って来るとバスの中は喜びが一杯に拡がります。

そうして、終点までの残り数分の間に、歩き登園の子ども達とすれ違っては手を振る子ども達の心は、早くも幼稚園へと運ばれているようです。
終点に着いて黄色いバスを降りた子ども達は、私を置いて一目散、先生と友達の待つ幼稚園へと走り出します。

ドキドキワクワクしながら、子ども達の小さなハートが大きく膨らんでいく様を毎朝見せてもらいながら、黄色いバスは優しさを教えてくれるステキなバスだなぁ…と私のハートも毎朝膨らんでいます。               
                                    

                               園 長   木村  厚美
 四月八日… 『良い天気でよかったぁ!』と、つい三週間前にめぐみを巣立って行った子ども達の入学式の姿に思いを馳せながら、職員室で新学期の準備に追われていました。

窓越しに見えるスイミングクラブの裏手に咲く桜が、時折吹く風に花吹雪となって散り去っていく様を
見ながら、はかなさを感じるよりもむしろ、力強さを感じたのは、巣立った子ども達の門出を想いなが
ら、私自身も新しい事への準備に心を傾けていたからかもしれません。

桜の花に終わりを知らされたのではなく、次の事への始まりを感じさせてもらったような気がして、
その日一日が希望に満ちました。
 
毎年三学期、私は卒園を控えた光組の子ども達一人ひとりと面談をすることにしています。

めぐみで三年間、歩みを重ねてきた事や、頑張って獲得した宝について、何となく感じて終わるので
なく、きちんと自分の言葉で表現し、他者からの客観的な言葉を以って確認して、幼いなりにも整理をして次の歩みへとつなげて欲しいと願っているからです。

『もうすぐ一年生やねぇ、どう?』と尋ねると、『楽しみ!』『早く行きたい!』と、ほぼ全員が答えます。

心のどこかに、未知の環境に身を委ねる不安を多少なりとも抱えているとは思いますが、
おとなの建て前トークとは違い、本当に心からそう思っているということが、その瞳の輝きから伝わっ
てきます。

あまりにもあっさり、『楽しみ!』と未練無く言い放つのに対して、『薄情な子!』とおとなは苦笑いしますが、私はそこで『してやったり!大成功!』と、その子と、そしてめぐみの保育に拍手を送るのです。

何故なら…めぐみの保育は、めぐみに思いを留まらせるものではなく、その時点で確認できている自
分の力を、外で試してみることに夢と希望を抱かせる、そのような保育だからです。

薄情に思うどころか、私はそう言い放つ子ども達のことを『よくぞめぐみの保育を理解してくれたね、花
マル!ありがとう!』と、感謝感激で嬉しくてなりません。

そして、そう言い放つ子どもの心の中にいつもめぐみの精神が、思い出としてではなく生き続けてくれ
ることだろうと想像し、期待するのです。 

今年度末も、この感謝と喜びの瞬間に立ち会えることを確信し、今日から始まる新年度も、心と精神とを尽くして保育の技に励んでまいりたいと思います。

四月九日…『アチャ〜ッ!』降るわ吹くわの大嵐。

めぐみの子は、それでも雄々しく前を向いて歩いていることでしょう。
                                              園 長  木村 厚美
 『ダイヤモンド』・・・この言葉を耳にすると、殆どの人はその輝きの美しさと価値の高さを想像することでしょう。子ども達にとってもこの言葉は、美しさや高価であることの象徴のようです。が、Tシャツやサンダルに付いている、光るビーズやスパンコールを見ても、全てダイヤモンドと思えるところが、子どもだけに与えられた幸せです。哀しいかなおとなは、目利きで無い限り本物を手にしても、『本当に本物かしら・・・?』と疑うことから始まり、付いている値札にその真価を見ようとします。
先日、花組の女の子が、私の首元に輝くダイヤ(本物!)のネックレスを見るなり、「わたしもおんなじの持っちょるよ!ズボンに付いちょるモン!」と鼻高々。「これ、ダイヤモンドって言うんだよ!」と言うと、「そうよ!」当り前ャン!と言わんばかりの口調で言い放たれて、おとな気ない私は、「これ、本物よ!」と言い返したのですが、「わたしのだって本物やモン!」。結局最後は「おんなじやねぇ、」と二人で喜んで握手で終わりました。 私がこのダイヤの価値に満足しているのと同じレベルで、彼女もズボンに付いているビーズに満足しているんだなぁ・・・いや、ひょっとすると彼女の方が満足度は高いかも・・・と思うと、『本物がドンだけのモンやネン!』と考えさせられ、物の真価とはいったい何を指して言うのだろう・・・?と思いました。
毎年この時期、もうすぐ卒園していく光組の子ども達と、聖話のまとめをします。神様の話は、小さな子どもにとってはあまりにも抽象的なので、できるだけイメージしやすいようにとの工夫が必要です。例えば『心を開く』という言葉を、『ハートの鍵を開けて、どうぞ神様お入りください』とイメージすると、子ども達はたちまち心が開くのです。このようにしながら三年間『神様の愛』を心に刻んできた光組の子ども達に、まとめとして『神様が一人ひとりにくださっている賜物』の話をしました。この賜物を何に例えるかが味噌なのですが、今回は『ダイヤモンド』に例えて「皆の心の中にはね、神様がダイヤモンドを埋めてくださっているんだよ!」と話したところ、『わたしの中にそんな凄い物が有るなんて!知らんかったわ〜! 』と、子ども達の目は瞬時に輝きました。しかし「じゃあ、そのダイヤモンドはどんな物かな?」となるとまた難しい話になります。『優しい気持ち』『頑張る力』『明るい笑顔』など、具体的に説明を聞いて少しずつ理解していきますが、自分の賜物を言葉にして言い表すことは、本当に難しい作業でした。思い悩むこと一ヶ月、今、光組の子ども達は自分に頂いたダイヤモンドを言い表せるようになりました。卒園式に一人ずつ披露いたします。
ダイヤは箱の中では輝きません。蓋を開け光を受けて初めて美しく輝くのです。
決してひけらかすのではなく、人々の前に開け渡し、神様という光を受けていつもきらきらと輝いていて欲しいと願って止みません。今、ビーズやスパンコールであったとしても、いつの日にか必ず本物になると確信しています。  園 長  木村 厚美  
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